ナンパ師を約5年してみて気付いた事を綴る。


〜テーマは以下の3つ〜
1.自分が壊れていく。
2.数を追っても意味がない。
3.最後に残っているものはスキルだけだった。






1.自分が壊れていく

最近のdaiceは自分が壊れていく感覚があった。
ナンパを始めた当初は、少しずつ成長していく喜びと女性を口説くスキルが付いていく事が実感出来て、ナンパをする事が楽しくて仕方なかった。
営業職に就くつもりだったという事もあり、毎日分析して熱心にナンパしていたと思う。
お酒にも頼らずにシラフで日中から声を掛けていた。
その頃が1番輝いていたのかもしれない。
年月が経ち、声を掛けることに対する抵抗がほぼ0になった今はどんな状況でも声掛けが出来てしまう。
それはいい事のようで、反面危険が伴う。
ナンパ師界隈では"地蔵"という言葉が存在する。
びびって声をかけられない状態の事だ。
ビビるという事は人間として当たり前の事で自らの危険を察知しているという事。
いわゆるリスク回避能力だ。
それは生きていく上で必要な力なのだが、ナンパをして地蔵しなくなったらどうなってくるのだろうか。
想像できるだろうか。
怖いものがなくなるのだ。
危険を感じ取れなくなる。
感覚が麻痺してしまうのだ。
それはナンパを始め、日常生活や仕事でも支障が出た。
危険を想像する事ができない。
ある意味病気だと思う。
地蔵しなさ過ぎる人は危険だ。
地蔵していい。
地蔵が悩みのナンパ初心者の人は地蔵する事で悩まないでほしい。
それは人間が本来持ち合わせている危険察知能力なのだから。



2.数を追っても意味がない

数を追っても意味がないと感じている。
数を追い過ぎると女の子の質も下がり、自分の満足度も低くなる。
さらに女の子に対してのアプローチも雑になってしまう。
とにかく抱ければいいという思考になってきたら、人間としての魅力が下がっている。
好きではない女性100人と行為をするよりも本当に好きな女性1人と行為を行った方が満足度が高いと思う。
ナンパをする本来の目的は将来的に好きになった最高の女性を口説くためにスキルを身につけたいのではないか。
自分が好きになった女性を口説くのと、好きでもない女性を口説くのでは、まず精神的なコンディションが違い過ぎる。
それなら本当に落としたい、本当に魅力的だと思う女性をナンパして、ロマンスする方向にしていかないかい?
daiceは台湾でのロマンスの満足度が高かったので、なぜなのか考えた。

自分はあなたが好き
相手も自分の事が好きだ。
一緒にいたい
では夜を共に過ごそう

というシチュエーションだったからで、お互いの気持ちに少しでも嘘があったら満足度は低くなるし、お互いそれは感じる事ができる。


嘘のない気持ちでロマンスするためのナンパにしたらどうだろうか。
好きでもない女を抱いた1即になんの意味があるの?
楽しいから?それって本当に楽しいの?
本当に好きだったらもっと楽しくないか?



3.最後に残っているのはスキルだけだった。

daiceはそんな事を考え始めていたが、気付けば残っている女性なんて誰もいない。
既セクはおかわりしない。
色は使わない。
それをモットーにナンパしてきたdaiceは既セクからのアプローチが来ても返信しなかった。
全て関係を断ち切ってきた。
そのため何も残っていない。
使ったお金も返ってこない。
これで本当に幸せなのだろうか。
だが口説くスキルだけは残っていた。
デートすれば大概の女性には勝てるだけのスキルは残っていた。
最近いいなと思える女性を見つけた。
ディナーに誘った。
ベッドインする気はさらさらない。
だが、ディナーだけでも圧倒的に魅了出来た。
daiceは待ち合わせから解散までの全ての振る舞いを知っている。
言葉の選び方から猫紐理論、ネグ、目線の合わせ方、手の繋ぎ方まで流れるように行える。
そんな時はナンパをしてきた事は無駄ではなかったのかなと思えた。
夜を共に過ごさなくても満足度の高い時間だった。
そんなデートやナンパをしたらどうだろうかと考えた休日の朝。